村上春樹作品は初期作品の「僕」という一人称から、男性主人公というイメージが強いですが、実は女性を主人公とした作品は以前から存在します。しかも一つや二つではなく、短編はもちろん長編でも女性主人公が登場します。中には村上春樹自身も特に気に入った作品だったり、世界的に評価されている短編もあります。
僕が村上春樹の女性主人公の作品をまとめようと思ったきっかけは、最新の連作短編「夏帆」シリーズにあります。
これは「夏帆」という女性主人公で、しかも同じ主人公が連作短編として登場し続けるのは村上春樹史上初の試みです。この女性主人公が重要な役割を果たす作品を読んで、「他にも村上春樹作品の中で女性が主人公のものはどれくらいあったっけ?」と単純に疑問に思ったのです。また他の女性主人公作品と比較し、なにか新しい発見があるかもしれない、というのにも関心があります。
ここではその女性が主人公となった村上春樹作品をまとめ、主人公の特徴を含む、あらすじや作品概要を紹介します。

女性が主人公の村上春樹長編小説
女性主人公の長編① アフターダーク

【概要】
『アフターダーク』は村上春樹11作目の長編小説。「私たち」という奇妙な視点で進む実験的ともいえる作品ですが、主人公として焦点が当てられるのは大学生の少女「浅井マリ」。これは姉妹の物語であり、深い夜に内包される闇についての物語です。
【あらすじ】
19歳の浅井マリは深夜にデニーズで本を読んでいると、姉の浅井エリの友人・高橋に出くわす。一方で「私たち」の視点は、姉のエリが眠りから目を覚まそうとしない姿を映し続ける。物語は午後11時56分に始まり、午前6時52分に終わる。
女性主人公の長編② 1Q84

【概要】
『1Q84』は村上春樹12作目の長編小説。村上春樹の最長ページ数の小説で、文庫本6巻構成です。主人公は青豆という女性と天吾という男性の二人で、それぞれの視点から並行して物語が進んでいきます。
【あらすじ】
渋滞中の首都高速道路で、運転手の奇妙な提案により青豆は先を急ぐために非常用階段を使って高速道路を脱出する。「でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」という運転手の警告とともに、青豆は「1Q84年」の世界に足を踏み入れることになる。
女性が主人公の村上春樹短編小説
女性主人公の短編① 眠り

【概要】
「眠り」は、村上春樹作品中初めて女性を主人公とした小説作品。眠れないことなんて滅多にないという作者とは対照的に、まったく眠れないということがテーマに。作中で眠れない「私」が取り憑かれたように読みふけるトルストイの『アンナ・カレーニナ』が無性に読みたくなります。
【あらすじ】
「私」は眠れなくなって17日目になる。体には何の変調もなく、ただ単に眠れないのだ。歯科医の夫も、小学二年生の息子もその様子には一歳気づかない。「私」の身になにが起きているのか……
女性主人公の短編② 加納クレタ

【概要】
「加納クレタ」は、短編集『TVピープル』刊行時に書き下ろされた短編小説。長編『ねじまき鳥クロニクル』にも同姓同名の加納クレタと加納マルタが登場しますが、特徴や背景は異なる面もあり、同一人物ではありません。
【あらすじ】
加納クレタは専門である建築図面を引くことに1日の大部分を費やし、かたや姉の加納マルタが人の体内の水音を聴く手伝いをしている。クレタは美人だが、致命的な問題を抱えている。彼女を見た男たちはみんなきまって彼女を犯そうとするのだ。
女性主人公の短編③ ゾンビ

【概要】
「ゾンビ」は「加納クレタ」同様に、短編集『TVピープル』刊行時に書き下ろされた短編です。幸福な日常的風景に、突如信じられない異変が起きる。しかもそれが大切な人からひどいことを言われる。というなんとも怖い話です。
【あらすじ】
来月結婚することになっている男と女が真夜中に墓場の横を歩いている。するとギイイッという重いものが動くような軋みが聞こえ、男は突然豹変したかのような言葉を女に放つ。「どうして君はそんなみっともない歩き方をするんだろうな」
女性主人公の短編④ 緑色の獣

【概要】
「緑色の獣」は1991年に刊行された『村上春樹ブック』に収録された、かなり衝撃的な描写を含む印象的な短編小説です。タイトルの「緑色の獣」は一体なんなのだ、という問いはもちろん、主人公の女性が家で一人でいるときに起きる出来事でありながら、あまり語られない家族のことを想像してしまう作品。
【あらすじ】
「私」は夫が仕事に出てしまうと、じっと庭を眺めていた。子供のころに植えて友達のように思ってきた一本の椎の木を。すると根元のあたりからもそもそと緑色の獣が這い出てくるのだった。
女性主人公の短編⑤ 氷男

【概要】
「氷男」は「緑色の獣」と同様に、1991年に刊行された『村上春樹ブック』に収録された短編小説。
【あらすじ】
「私」はスキー場のホテルで氷男と出会う。そしてどういうわけか、氷男は彼女のことを熟知している。家族構成から年齢、趣味、健康状態、さらには彼女も忘れてしまったような昔のことまで。物語は「私は氷男と結婚した」という一文から始まる。
女性主人公の短編⑥ アイロンのある風景

【概要】
「アイロンのある風景」は、阪神淡路大震災が一貫したテーマとして書かれた短編集『神の子どもたちはみな踊る』に収録。家庭の事情で高校生にして家を出て、茨城の町に住みつくことになった順子の話。順子たちを焚き火に誘う中年男性三宅さんもまた神戸出身のよそものですが、そんな二人は心の奥深いところで共鳴します。
【あらすじ】
高校三年生で家出して以来この茨城の海辺の町に住む順子。阪神淡路大震災があった1995年の2月、いつものように三宅さんに焚き火の誘いを受けて、順子は同棲する啓介と浜へ出る。冬の海岸で燃える流木を囲う三人はなにを語るのか。
女性主人公の短編⑦ タイランド

【概要】
「タイランド」は「アイロンのある風景」同様に、『神の子どもたちはみな踊る』に収録された女性主人公の短編です。ちなみに作者は、甲状腺の専門医と知り合い、「世界甲状腺会議」なるものも実際に存在することを知ったそうです。
【あらすじ】
アメリカで甲状腺の研究をしてきたさつきは、バンコクで開催される会議に出席する。会議が終わり、一週間ほど静かなプールで泳ぎ、音楽を聴いて、本を読みながら過ごす。そしてガイド兼運転手として出会ったニミットに連れられ、村のはずれにいる老婆に「あなたの身体には石が入っている」と告げられる。
女性主人公の短編⑧ バースデイ・ガール

【概要】
「バースデイ・ガール」は誕生日がテーマの短編を集めたアンソロジー『バースデイ・ストーリーズ』に、村上春樹自身も創作して収録したのが「バースデイ・ガール」です。どんな人でも誕生日を持っている、それは特別な日であるという作者の価値観は心温まるものです。中学の教科書にも採用された名短編。後に刊行されたアートブックでも楽しむことができます。
【あらすじ】
「彼女」が二十歳の誕生日に経験した奇妙な出来事について。休むはずだったアルバイトに出なくてはいけなくなり、さらに謎の「オーナー」がなんでも願いを叶えてくれるという。誕生日の夜に彼女が願ったこととは。
女性主人公の短編⑨ ハナレイ・ベイ

【概要】
「ハナレイ・ベイ」は『東京奇譚集』に収録された短編で、吉田羊主演で映画化もされています。夫も息子も失った女性の過去と、息子を失ったハワイの地を繰り返し訪れ、何かを探し求める彼女の姿が描かれる。
【あらすじ】
未亡人のサチは毎年秋になるとハワイのハナレイの町を訪れ、一週間ほど滞在する。息子が十九歳の時にハナレイ湾でサーフィンしている最中、鮫に襲われて死んだのだ。それから十年以上経ち、彼女はハナレイでヒッチハイクをしている日本人の若者二人と出会う。
女性主人公の短編①⓪ 品川猿

【概要】
「品川猿」は、短編集『東京奇譚集』刊行時に書き下ろされた短編作品。女性が主人公であり、名前と過去というテーマを持つ短編小説です。そしてタイトルのとおり「猿」がもう一人の主人公とも言えるでしょう。続編的な立ち位置で「品川猿の告白」が2020年に発表されました(短編集『一人称単数』に収録)。
【あらすじ】
三年前の春に結婚した安藤みずきはときどき自分の名前が思い出せなくなる。夫にも相談できず、総合病院でもろくに取り合ってもらえない。そこで区役所の「心の悩み相談室」に赴き、坂木哲子というカウンセラーと出会う。彼女の人生が振り返られる一方で、名前が思い出せない原因をつきとめることに。
女性主人公の短編①① 「夏帆」シリーズ

【概要】
「夏帆」は、もとは2024年3月に行われた川上未映子との朗読会のために書かれた作品で、のちに『新潮 2024年6月号』に掲載されました。この作品は「夏帆シリーズ」とも呼ぶべき連作短編に発展し、現時点で「武蔵境のありくい ――〈夏帆〉その2」「夏帆とシロアリの女王 ――〈夏帆〉その3」まで発表されています。
【あらすじ】
二十六歳の絵本作家である夏帆は、二年余り交際していた恋人と別れ、担当編集者の紹介でデートをセッティングされる。そこで出会った佐原という男は夏帆より十は年上でハンサムだった。そして食事の後半で佐原は夏帆にこう告げる。「君みたいな醜い相手は初めてだよ」と。
僕は長年村上春樹の愛読者で、現時点で発表されている15作の長編小説と100作以上の短編小説を漏れなく読んできました。
その中で女性が主人公の作品は長編2作品、短編11作品(「夏帆」シリーズを1作とカウント)だったので、全作品の約1割程度を占めることが今回判明しました。
主人公に注目して読むのも村上春樹の楽しみの一つです。
以下、村上春樹関連の記事をまとめたので、興味がありましたら、ぜひご一読ください。
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