『海辺のカフカ』に出てくる小説や作家まとめ【登場本一覧】

『海辺のカフカ』登場本

村上春樹の十作目の長編小説『海辺のカフカ』に登場する本や作家を一挙に紹介します。『海辺のカフカ』は村上春樹作品でも最も世界的な評価を得ている長編の一つで、その作品中には世界文学や国内文学の名作がずらりと顔を並べます。

またとある図書館が舞台となっているように、「本」や「読書」が大きなテーマとなっています。数十もの本や作家に言及していく『海辺のカフカ』は、まさに村上春樹による読書案内、もしくはこの作品自体がある種の図書館としての役割を果たしているとも言えるでしょう。

それではどのような場面でどのような作品が言及されているのか、一つずつ解説していきたいと思います。

目次

『海辺のカフカ』と読書の関係

村上春樹作品には多くの小説や作家の名前が登場しますが、中でもこの『海辺のカフカ』は本や読書というテーマが最も大きく物語に作用する作品の一つです。

まずタイトルからもわかるように、『海辺のカフカ』および主人公の「田村カフカ」は、あの村上春樹も愛読するフランツ・カフカが由来となっています

「僕 (田村カフカ)」は15歳にして、かなりの読書家です。小さい頃から図書館で時間をつぶしていたという「僕」は「図書館は僕の第二の家のようなものだった」と語っています。「僕」は物語を通して小説はもちろん、歴史書、科学書、さらには民俗学や神話学、社会学、心理学の本なども読んでいる様子が伺えます。

物語の舞台として、香川県の甲村記念図書館というまさに本や読書を象徴するかのような場所が重要な役割を果たします。そこに勤める「大島さん」という方も大変な読書家で、「僕」との会話でも多くの本や作家についての言及が見られます。

図書館に関して他にも、中野区立図書館や高松市立図書館なども登場人物たちと接点を持ちます。

『海辺のカフカ』に出てくる本【一覧】

以下に『海辺のカフカ』に出てくる本を画像に一覧でまとめましたので、ざっと目を通したい方はこちらの画像をご参照ください。さらにその後は、各作品や作家の解説や登場シーンに続きますので、最後までぜひご覧ください。

海辺のカフカ 登場本一覧 その1

海辺のカフカ 登場本一覧 その2

海辺のカフカ 登場本一覧 その3

1. 太陽

太陽

『太陽』は1963年に創刊された平凡社の月刊雑誌です。またそれから十年後には豊富な資料とともにひとつのテーマを深掘る『別冊太陽』が刊行開始しました。その他にも博文館が1895年から発行を始めたものなど、「太陽」という名前のついた雑誌は複数の出版社から出されたことがあります。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕は以前、甲村記念図書館の写真を雑誌『太陽』で見たことがあり、それ以来強く心をひかれて訪れてみたいと思っていたと語ります。

2. バートン版 千夜一夜物語

バートン版 千夜一夜物語

『千夜一夜物語』はイスラム世界の説話をまとめたペルシャの時代の物語集です。『千夜一夜物語』にはいくつもの版が存在し、本作で登場する「バートン版」というのは「カルカッタ第二版」というアラビア語で刊行されたバージョンを指します。各版によって結末も異なるそうです。本作や『ねじまき鳥クロニクル』で登場する『アラジンと魔法のランプ』は『千夜一夜物語』の一部として収録されたものです。『バートン版 千夜一夜物語』は、ちくま文庫から全11巻で刊行されています。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕が甲村記念図書館で最初に選んだ本が『バートン版 千夜一夜物語』でした。装丁の美しい数冊揃いの『バートン版 千夜一夜物語』から一冊を選んで閲覧室に持っていきます。中でも「道化者アブ・アル・ハサンの話」という形で具体的な章の名前も明示されています

3. 饗宴

饗宴

『饗宴』は古代ギリシアの哲学者プラトンの対話篇の中でも最高傑作とみなされています。プラトンといえば、ソクラテスの弟子であり、アリストテレスの師としても知られています。『饗宴』はエロース(愛)をひとつの主題としています。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんはカフカ少年が学校に行かずに甲村図書館にいることについて、登校拒否かと尋ねます。そして大島さん自身も社会的な問題を抱えていることを示唆するためか、人間の性別についての話をします。昔の人間は「男男と男女と女女」の三種類に区別されたというプラトンの『饗宴』に出てくるアリストパネスの説を口にします

4. 聖書

聖書

説明不要かもしれませんが、世界で最も売れて読まれている書物である聖書は、ユダヤ教とキリスト教の信仰の基盤となる宗教文書です。旧約聖書と新約聖書の二つの部分から成り、旧約聖書はユダヤ教の経典、新約聖書はキリスト教の教えを伝えています。歴史、詩歌、預言、教訓など様々な内容が含まれており、多くの言語に翻訳され、世界中で最も影響力のある書物の一つです。本書で登場する「アダムとイブ」の物語は旧約聖書の「創世記」第1章から第3章に記載されていて、神が最初の人間であるアダムを創造し、彼の肋骨からイブを作り出したこと、そして彼らがエデンの園で暮らしていたことから始まります。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんは僕との会話の中で、神様が人間を男と女に分けた理由として、聖書のアダムとイブが受けた罰のようなものだったのかもしれないと推測します。アダムとイブの罪と罰というのは、神はアダムとイブに善悪の知識の木の実を食べることを禁じましたが、イブが蛇にそそのかされて木の実を食べ、アダムもそれに従いました。そして二人は楽園から追放されてしまいます。

5. 城

城

『城』はフランツ・カフカの最も長い長編小説で、1922年に執筆され死後1926年に出版されました。未完の小説ではありますが、カフカの長編小説の代名詞的な存在の作品です。城に雇われた土地測量技師の主人公Kがある村を訪ね、そこで何が本当かわからない中で翻弄されていく話ですが、その日常に見せかけた異質な空間は村上春樹のフィクションに通ずるものがあります。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕が大島さんに名乗る時に、その名前からカフカの小説は読んだことがあるかと聞かれて、僕は『城』『審判』『変身』を読んだことがあると答えます

6. 審判

審判

『審判』は1914年から1915年に書かれたフランツ・カフカの長編小説です。この作品でも主人公のヨーゼフ・Kがよくわからないままに逮捕され訴訟を起こされ、その理由が明かされないままに日常を過ごすことになる、という不条理さが描かれます。延々と判決が下されずにむしろ訴訟の過程が大半を占めることから、近年では『訴訟』という日本語訳でのタイトルが浸透しつつあります。

【『海辺のカフカ』での登場】

上記「城」の項目を参照。

7. 変身

変身

フランツ・カフカの最も有名な作品といえるのがこの『変身』でしょう。1912年に執筆され、1915年に発表された中編小説です。主人公のグレゴール・ザムザがある朝目が覚めると、虫になっていたというあらすじはよく知られています。ちなみに、この虫についてどのような虫なのかというのが、翻訳するときにもしばしば議論の的になったります。

【『海辺のカフカ』での登場】

上記「城」の項目を参照。

8. 流刑地にて

流刑地にて

『流刑地にて』は、カフカが『審判 (訴訟)』を執筆するために取った休暇中に書かれた短編小説です。とある島で行われていた前時代的な処刑がテーマで、囚人は自らの判決内容を知らされることなく、その処刑装置によって身体に直接判決文が刻み込まれる。その処刑までのプロセスや、物語の結末までが残酷に描かれます。『流刑地にて』刊行前の朗読会では、そのあまりの残酷さに女性が三人失神したそうです。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕が読んだことのあるカフカ作品として、『城』『審判』『変身』に加え、タイトルこそ出てこないものの「不思議な処刑機械の出てくる話」と『流刑地にて』を示す内容を口にします。大島さんはそのタイトルを言い当て、「僕の好きな話だ」「カフカ以外の誰にもあんな話を書けない」と言います。僕もカフカの短編では『流刑地にて』が一番好きだと述べます。

9. 夏目漱石全集

夏目漱石全集

夏目漱石といえば明治末期から大正初期にかけて活躍した日本の文豪で、村上春樹も愛読してきた作家の一人です。夏目漱石の全集は1993-1999年に岩波書店から、1982-1983年から集英社から、1987-1988年にちくま文庫から刊行されています。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕は甲村記念図書館に通い、『バートン版 千夜一夜物語』を読み終え、次に選んだのが『夏目漱石の全集』でした。『海辺のカフカ』では、漱石の具体的なタイトルが次々に登場していきます。

10. 源氏物語

源氏物語

『源氏物語』は、11世紀初頭に平安時代の貴族である紫式部によって書かれた日本文学の古典作品です。全54帖からなる長編物語で、世界最古の長編小説の一つとされています。物語は光源氏という貴公子の恋愛と人生を中心に展開され、貴族社会の生活や恋愛模様が詳細に描かれています。全54帖から成り、日本文学の古典的傑作とされ、多くの現代作品に影響を与え続けています。

【『海辺のカフカ』での登場】

アメリカ陸軍情報部報告書の中で、塚本重則教授は、ナカタ少年について意識不明だということを除けば健全な状態だったと語りました。まるで身体を最低限機能させておき、本人は幽体離脱をしてどこかでべつのことをしているみたいだったといいます。その状態を『源氏物語』に出てくる「生き霊」のようだと表現しました。また僕が佐伯さんの幽霊を見たことを大島さんに話すと、それは「生き霊」と呼ばれるものだと説明されます。その際に大島さんは『源氏物語』に出てくる生き霊の話をします

11. ムーミン・シリーズ

ムーミン・シリーズ

「ムーミン・シリーズ」はフィンランド人女性作家トーベ・ヤンソンによる小説、絵本、漫画で、日本でもアニメやグッズなどで人気のシリーズです。1945年にシリーズ最初の小説『小さなトロールと大きな洪水』が出版されました。ちなみに『村上さんのところ』によれば2015年時点で、村上春樹が仕事机で使っているマウスパッドはムーミンのものです。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕は意識を失い、気づいたら服が血だらけのになっていて、まず頼ったのがバスで出会ったさくらさんでした。そしてさくらさんの家で使われていたマグカップに描かれていたのがムーミン一家でした

12. 虞美人草

虞美人草

『虞美人草』(「ぐびじんそう」と読むんですね)は1907年に発表された夏目漱石の長編小説です。夏目漱石が東京帝大講師をやめて朝日新聞に入社し、職業作家として書いた最初の作品です。明治時代の日本を舞台にした恋愛と葛藤を描いた物語で、主人公の宗近は、儚げな美しさを持つ藤尾と、しっかりとした性格の小夜子との間で心を揺らします。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕は大島さんにこの図書館で何を読んでいるのか聞かれ、夏目漱石を全作品読破したいほど気に入っていると答えます。そして今読んでいるのが『虞美人草』だと教えます。

13. 坑夫

坑夫

『坑夫』は『虞美人草』に続く、夏目漱石が職業作家として発表した二作目の長編小説です。主人公の青年は恋愛の失敗や家庭問題に悩み、偶然出会った男に誘われて鉱山労働者として働き始めます。過酷な労働環境での体験を通じて、人間の本質や生きる意味が描かれていきます。夏目漱石の王道的な作品とは言えないかもしれませんが、村上春樹の思い入れがある作品だと思われます。村上春樹作品の英語訳も務める翻訳家のジェイ・ルービンが訳した『坑夫』(The Miner)の序文を、村上春樹自身が担当していることからも、少なからず特別な思いが見てとれます。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕がこの甲村記念図書館で『虞美人草』の前に読んだ漱石作品が『坑夫』でした。夏目漱石の全作品を刊行順に読んでいることが伺えます。そして一般的には漱石作品の中では評判がよくない『坑夫』の魅力を「なにを言いたいのかわからない」部分だと話します。

14. 三四郎

三四郎

九州から東京に上京してきた青年・三四郎が、大学生活や都会での新しい人々との出会いを通じて成長していく物語です。彼は美しい女性、里見美禰子に心惹かれますが、彼女の真意を理解できず、複雑な感情に悩まされます。『三四郎』もまた『坑夫』同様に、ジェイ・ルービンによる英語訳『Sanshiro』の序文が村上春樹によって書かれた作品です。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕が読んで気に入った『坑夫』の特徴を大島さんと話す際に、比較として引き合いに出されたのが、近代教養小説としての『三四郎』でした。また不完全な『坑夫』とは対照的に、完成された作品として大島さんが挙げたのが『こころ』と『三四郎』でした。

15. こころ

こころ

『こころ』は1914年に連載された長編小説で、夏目漱石の最も有名な作品の一つです。物語は、「私」という若者が「先生」と呼ばれる人物と親交を深め、彼の過去に秘められた秘密を知ることで展開します。大島さんが語るように、夏目漱石の中でも最も完成された小説とみなすこともできます。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんは、夏目漱石に関して『坑夫』のようなある種の不完全さを持った作品は人間の心を強く引きつけると考え、一方で完成された作品として『こころ』や『三四郎』を挙げています

16. マクベス

マクベス

『マクベス』は、1606年頃に書かれたとされるイギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアの代表的な戯曲の一つです。スコットランドの王位をめぐる政治悲劇ですが、現代でも広く読まれるほど普遍的な内容を含む物語となっています。シェイクスピアは本作では複数の代表作としてたびたび登場します。また他の村上作品でも『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『ノルウェイの森』などで言及される作家でもあります。

【『海辺のカフカ』での登場】

ナカタさんの目の前でジョニー・ウォーカーは衝撃的な光景を見せます。そしてマクベスの「のたうつ波も、この手をひたせば、紅一色、緑の大海原もたちまち朱と染まろう」「ああ、おれの心のなかを、さそりが一杯はいずりまわる!」という台詞を引用します

17. 勧酒

勧酒

『勧酒』は9世紀頃の唐の詩人・于武陵(うぶりょう)の五言絶句の作品です。この漢詩の「人生足別離」を井伏鱒二が「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳したことが有名です。本作でもその箇所が引用されています。岩波文庫の『井伏鱒二全詩集』の中に該当の「勧酒」が収められています。

【『海辺のカフカ』での登場】

ジョニー・ウォーカーがナカタさんがよく知る猫を残酷な方法で手にかけていく中で、「花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」という言葉を口にします。これは唐代の詩人于武陵の詩『勧酒』を井伏鱒二が訳したものとしてよく知られています。

18. イーリアス(イリアス)

イーリアス(イリアス)

『イーリアス(イリアス)』は紀元前8世紀頃の詩人とみなされているホメロスによる古代ギリシアの長編叙事詩で西洋文学の原点的な存在として知られています。『イリアス』は、トロイア戦争の最後の数週間を描いた叙事詩で、ギリシャ軍とトロイア軍の激闘が展開されます。物語は、英雄アキレウスの怒りとその結果としてのギリシャ軍の危機、そしてトロイアの王子ヘクトールとの壮絶な戦いを中心に進行します。村上春樹による前作『スプートニクの恋人』では、ホメロスのもう一つの重要作『オデュッセイア』が登場します。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんが連れて行ってくれた山奥の小屋で過ごすこと4日目に、大島さんが僕のもとへやってきます。大島さんと僕との会話の中で、僕が大島さんの発言を「不吉な予言みたい」だと言い、それに対して大島さんは「カッサンドラ」と返します。「カッサンドラ」といえばギリシア神話に登場するイーリオスの王女ですが、読書好きの大島さんは古代ギリシアの吟遊詩人であるホメロスの『イーリアス(イリアス)』の物語を参照したと思われます。

19. ロミオとジュリエット

ロミオとジュリエット

『ロミオとジュリエット (ロメオとジュリエット) 』はシェイクスピアの初期段階の作品にして、今や世界中で最も広く知られている作品でしょう。若者の恋愛の代名詞となった「ロミオとジュリエット」ですが、『海辺のカフカ』でも若いころからの恋愛関係を持っていた佐伯さんについて語る箇所で登場します。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんは佐伯さんの過去について僕に教えます。佐伯さんは小学校のころから決まった恋人がいたと話し、それを「ロメオとジュリエットみたいにね」と表現しました

20. アンナ・カレーニナ

アンナ・カレーニナ

レフ・トルストイは、ドストエフスキーやツルゲーネフと並ぶロシア文学の巨匠の一人で、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などでの傑作長編の作者として知られています。本作では具体的な作品名の記述はありませんが、文脈から『アンナ・カレーニナ』を指していることは間違いないでしょう。トルストイはとにかく村上作品にはたくさん出てくる作家で、デビュー作の『風の歌を聴け』から『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』などでも言及されます。特に『アンナ・カレーニナ』は村上春樹の短編小説「眠り」では重要な役割を果たします。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんは佐伯さんの過去について話す際、「幸福は一種類しかないが、不幸は人それぞれに千差万別だ」というトルストイの指摘を引き合いに出します。これはトルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭の一文から来ていると思われます。

21. エレクトラ

エレクトラ

『エレクトラ』は古代ギリシアの三大悲劇詩人の一人ソフォクレス (ソポクレス)が遺した悲劇で、紀元前400年前後に書かれたソポクレス後期の作品とされています。同じく『エレクトラ』というタイトルを持つエウリピデスのギリシア悲劇についても、『ノルウェイの森』で登場します。ちなみにエウリピデス (ユーリピデス)含め三大悲劇詩人全員の名前は本作でも登場します。ソフォクレスの『エレクトラ』はちくま文庫の『ギリシア悲劇 2』で読むことができます。

【『海辺のカフカ』での登場】

甲村記念図書館に女性の立場から施設の調査を行う二人の女性がやってきます。そこで性別の話になったときに、大島さんはソフォクレスの『エレクトラ』について言及し、「素晴らしい戯曲です」と評します。

22. うつろな人々

うつろな人々

『うつろな人々』は、本作では具体的な作品名として登場するわけではありませんが、「うつろな人間たち」というほぼそのままの名前で会話に登場します。アメリカ出身でイギリスを活動の場とした詩人T・S・エリオットは、1925年に詩集『うつろな人々』(The Hollow Men)を発表しました。T・S・エリオットは『ダンス・ダンス・ダンス』など他の村上春樹作品でも見られる作家で、代表作『荒地』が最も知られている作品でしょう。「うつろな人々」(The Hollow Men)は岩波文庫の詩集『四つの四重奏』で読むことができますが、入手は困難な現状です。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんは自らの性的マイノリティについて、さらに差別されることがどんなに辛いことかを述べた上で、それよりもうんざりさせられるのは「想像力を欠いた人々だ」と語ります。図書館を訪れたフェミニズム運動に関わるあの二人組の女性について、まさにそのような「T・Sエリオットの言う『うつろな人間たち』」にほかならないと怒りを口にします。T・S・エリオットの詩には「うつろな人々」(The Hollow Men)という作品があります。

23. オイディプス王

オイディプス王

『オイディプス王』はギリシア神話の一部で、古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人であるソポクレス (ソフォクレス)が書いた戯曲です。『オイディプス王』は、予言により父を殺し母と結婚する運命を持つオイディプスが、その運命を避けようとするも、結局は運命を成就してしまう悲劇です。彼は真実を知り、絶望し自らを罰します。運命の不可避性と人間の無力さを描き、深い倫理的問題を提起します。なお『オイディプス王』は、『ねじまき鳥クロニクル』にも登場した物語の名前です。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんは僕が現在置かれている状況がソフォクレスの『オイディプス王』に見られるような美質から生じる悲劇につながりうることを示唆します。オイディプス王について「その勇敢さと正直さによってまさに彼の悲劇はもたらされる」と述べています。少年が父と対立し母(姉)に性愛のような感情を抱くという点で、『海辺のカフカ』はこの『オイディプス王』の物語がベースとなっていることは明らかで、著者も認めている点でもあります。

24. 雨月物語

雨月物語

『雨月物語』は上田秋成によって書かれた江戸時代後期の怪異小説です。本作で登場する「菊花の約」という話は、自刃した男が義兄弟との再会の約束を果たすために幽霊となって現れる話です。「貧福論」は簡単に言えば、お金についての話です。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕が大島さんに生き霊について尋ねる場面で、大島さんは『雨月物語』の「菊花の約」という話を引き合いに出します。またカーネル・サンダースと星野青年との会話の中でも『雨月物語』が登場します。そのカーネル・サンダース(の姿をとった神でも仏でも人間でもない存在)が「我今仮に化をあらはして話るといへども、神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば人と異なる慮あり」という「貧福論」からの引用をします

▽現代語訳付きなら講談社学術文庫のものがおすすめです!▽

25. 物質と記憶

物質と記憶

『物質と記憶』はフランスの哲学者アンリ・ベルクソンが1986年に発表した心身問題を扱った一冊です。この哲学書では、物質と記憶の関係を探ることで、心と身体の問題、つまり心身問題に新たな視点を提供しようとしています

【『海辺のカフカ』での登場】

カーネル・サンダースから紹介された娼婦のような女性が、星野青年に対して引用した一節が「純粋な現在とは、未来を喰っていく過去の捉えがたい進行である。実を言えば、あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ」という『物質と記憶』からのものでした。

26. 「陸自特殊車両操作教本」

『陸自特殊車両操作教本』というタイトルの書籍が一般に公開されているわけではなさそうですが、実際には自衛隊で使われているマニュアルの一種としてこのような本があっても不思議はないですね。

【『海辺のカフカ』での登場】

娼婦の女の子に『物質と記憶』は読んだことがあるかと聞かれた星野青年は、本なんてほとんど読まず、読んだ本といえば、自衛隊時代に『陸自特殊車両操作教本』くらいだと語ります

27. 精神現象学

精神現象学

『精神現象学』は1807年に出版され、G. W. F. ヘーゲルの思想体系の一部であり、意識の発展を追求する過程を描いています。ヘーゲルは、この著作の中で、人間の意識が自己を他者との関係を通じてどのように形成し、発展していくのかを探っています。

【『海辺のカフカ』での登場】

星野青年と寝た女の子は大学で哲学を専攻しており、星野青年にもっと哲学のような引用をしてくれないかと頼まれます。そこで彼女は「ヘーゲルはおすすめよね」と言いながら「自己意識」についての引用をします。「<私>は関連の内容であるのと同時に、関連することそのものでもある」という一節は、ヘーゲルの主著『精神現象学』からのものだと思われます。

28. アラジンと魔法のランプ

アラジンと魔法のランプ

『アラジンと魔法のランプ』はイスラム世界の説話をまとめた『千夜一夜物語』(『アラビアンナイト』としても知られています)の中の有名な物語です。『アラジンと魔法のランプ』は『ねじまき鳥クロニクル』でも登場しました。世の中的にはディズニー映画となった『アラジン』としてより広く知られており、絵本などもたくさんありますが、小説として読もうと思うと、講談社文庫の『アラジンと魔法のランプ アラビアンナイト』か岩波少年文庫の『アラビアン・ナイト』あたりが有名です。

【『海辺のカフカ』での登場】

星野青年がナカタさんと話す場面で、「入り口の石」を開けることができたら何が起こるか想像しようとします。そして『アラジンと魔法のランプ』に出てくる精のようなものが現れるのかと口にします

29. ピーナッツ

ピーナッツ

本作で「チャーリー・ブラウンの漫画」と言及されるのは、言わずと知れたチャールズ・M・シュルツによる漫画シリーズ『ピーナッツ』です。『ピーナッツ』はあの有名なスヌーピーを中心とした物語を展開し、1950年からシュルツによって連載されました。日本でも漫画はもちろん、アニメやさまざまなグッズ、名言集などで人気を集めています。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕が移動中常に身にかついでいる大きなリュックをみて「それじゃまるで、チャーリー・ブラウンの漫画に出てくる男の子が肌身はなさずに持っている毛布みたいじゃないか」とあきれて言います。なぜ「スヌーピーが出てくる漫画」でも「チャールズ・シュルツの描いた漫画」でもなく、「チャーリー・ブラウンの漫画」と表現したかは不明ですが、チャーリー・ブラウンを主人公にした漫画は言うまでもなく『ピーナッツ』シリーズです。そこに出てくるいつも毛布を持っているキャラクターは、ルーシーという主要女性キャラクターの弟のライナス・ヴァンペルトを指します。

30. 人間不平等起源論

人間不平等起源論

ジャン=ジャック・ルソーは18世紀に活躍したフランスの哲学者です。代表作に『社会契約論』や『エミール』があり、人間の自然な自由と平等、教育の重要性を強調しました。彼の思想はフランス革命にとどまらず、近代政治思想や教育理論にまで影響を及ぼしました。大島さんは、ルソーとともに、原始的な人間の自然状態から社会の高度化までを描く『人間不平等起源論』を示唆していると思われます。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんは僕に自由と不自由についての話をします。そして柵という不自由さがあったからこそ人類が文明を生み出せたというルソーの考えについて言及します。そして大島さんは「結局のところこの世界では、高くて丈夫な柵をつくる人間が有効に生き残るんだ」と結論づけます。

31. 三匹の子豚

三匹の子豚

『三匹の子豚』は誰もが知る昔話の一つだと思いますが、発祥の起源は明らかではなく、物語として最初に出版されたのが18世紀頃だそうです。三匹の子豚の兄弟は、狼の襲撃から身を守るためにそれぞれ異なる家を建てます。それぞれ、藁で、木で、レンガで家を建てます。

【『海辺のカフカ』での登場】

星野青年が重くなった石を動かしたことでビールも飲みきれないほどに疲労を感じます。そしてその状態を「3匹の子豚の兄貴のほうが作った出来そこないの家になったみてえな気分だ」と表現します。

32. ベートーヴェンとその時代

ベートーヴェンとその時代

『ベートーヴェンとその時代』は1987年にドイツの音楽学者カール・ダールハウスによって書かれた本で、ベートーヴェンの音楽とその時代背景について、深く掘り下げて分析しています。日本では「大作曲家とその時代シリーズ」というヨーロッパの音楽評論家陣による作曲家・作品論シリーズの一部として、1997年に西村書店から出版されました。

【『海辺のカフカ』での登場】

ナカタさんと甲村記念図書館を訪れた星野青年が手に取ったのは、ベートーヴェンの伝記として登場する『ベートーヴェンとその時代』でした。その少し前に入った喫茶店で彼はクラシック音楽に目覚めつつありました。

33. ハムレット

ハムレット

『ハムレット』は、『リア王』『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』などに並ぶシェイクスピアの代表作です。『ハムレット』は、デンマーク王子ハムレットが父王の死の真相を探る物語です。父を殺した叔父が王位を奪い母と再婚したことを知り、復讐を誓いますが、内面の葛藤に悩まされます。名台詞「生きるべきか、死ぬべきか」で知られ、悲劇的結末を迎えます。

【『海辺のカフカ』での登場】

星野青年に出会った大島さんは、フランスの作曲家ベルリオーズの「もしあなたが『ハムレット』を読まないまま人生を終えてしまうなら、あなたは炭坑の奥で一生を送ったようなものだ」という言葉を引用しています。またシェイクスピアの名前は、山奥の小屋で過ごしていた僕が読んでいた作家としても挙げられています。

34. ヘンゼルとグレーテル

ヘンゼルとグレーテル

『ヘンゼルとグレーテル』は1812年に出版された『子供と家庭のメルヒェン集』に収録されたグリム童話の物語で、日本でも長く知られています。森の中に入り道標としてとして粉々にしたパンを落としていくエピソードは特に有名で、本作での登場シーンとも深く関わっています。

【『海辺のカフカ』での登場】

物語の終盤に僕は森に入り、奥の方まで進むことを決意します。そこで帰り道がわかるように木々にスプレーで印をつけていきます。その際に『ヘンゼルとグレーテル』で目印にパンくずが使われたのをは違って、鳥に食べられる心配はないと考えます

35. 「アドルフ・アイヒマンの裁判について書かれた本」

本のタイトルは明示されませんが、「アドルフ・アイヒマンの裁判について書かれた本」という情報が提示されます。アウシュヴィッツ強制収容所でのホロコーストに関わったアドルフ・アイヒマンに関する本は多数ありますが、彼の裁判を主なテーマとした本には例えば、『エルサレムのアイヒマン』というものがあります。『エルサレムのアイヒマン』は、ハンナ・アーレントが1963年に連載したアドルフ・アイヒマンの裁判記録に関する本です。日本ではみすず書房から1969年に『イェルサレムのアイヒマン』というタイトルで出版され、現在では新版が入手できます。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんが連れて行ってくれた山奥の小屋に置かれていた本棚には数百もの本が収納されています。そこからまず僕が選んだのが「アドルフ・アイヒマンの裁判について書かれた本」でした。

36. 「1812年のナポレオンのロシア遠征について書かれた本」

「1812年のナポレオンのロシア遠征について書かれた本」という登場のしかたをする一冊ですが、『海辺のカフカ』が出版された2002年時点で読めたナポレオンのロシア遠征に関連する書籍として、例えば以下のような本が挙げられます。しかし「1812年のナポレオンのロシア遠征について書かれた本」という手がかりで一冊に特定するのは難しいのですが、あえて「1812年の」と年号を書いていることから、『1812年の雪 モスクワからの敗走』あたりがあやしいと思うのですが、どうでしょう。

・1980年に筑摩書房から出版された両角良彦著『1812年の雪 モスクワからの敗走』
・1981年に時事通信社から出版されたアルマン・ドゥ・コレンクール著『ナポレオン ロシア大遠征軍潰走の記』
・1982年に原書房から出版されたカール・フォン・クラウゼヴィッツ著『ナポレオンのモスクワ遠征』

【『海辺のカフカ』での登場】

僕は再び大島さんの案内で、念のため警察の目が届かない場所である高知の山奥にいきます。小屋で僕は「1812年のナポレオンのロシア遠征について書かれた本」を読みます

『海辺のカフカ』に出てくる作家【一覧】

1. スティーブン・キング

スティーヴン・キングは現代アメリカホラー小説を先導する作家で、『シャイニング』や『IT』をはじめ、『ショーシャンクの空に』や『スタンド・バイ・ミー』などの名作映画の原作を書いた世界的ホラー小説の「帝王」です。村上春樹にとって思い入れ深い作家であることは間違いなく、1981年に発表した『同時代としてのアメリカ』という評論でスティーブン・キングを取り上げたり、「スティーヴン・キングの絶望と愛」という文章を『スティーヴン・キングの研究読本』という本のために書いています(『村上春樹 雑文集』にも収録)。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕が最初に甲村記念図書館を訪れた際に、図書館の概要を大島さんから聞きます。所蔵されている書籍は特殊な専門書が中心で、スティーブン・キングを読みに来る人はまずいないと大島さんは説明します。僕のような若い来訪者が読みそうな一般向けの作家の代表例としてスティーブン・キングを出したと思われます。

2. 若山牧水

若山牧水は『別離』などで知られる、戦前の日本を代表する歌人で、村上春樹と同様早稲田大学を卒業しています。若山牧水の作品は、自然の美しさや人生の哀愁を歌ったものが多く、特に酒と旅を愛した歌人として知られています。自由律短歌の先駆者でもあり、形式にとらわれない表現を試みました。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんによると、甲村家は江戸時代から酒屋を営み、先代が書籍の蒐集していたそうです。そんな甲村家を多くの文人が訪れたそうで、具体的に挙げられた作家が若山牧水、石川啄木、そして志賀直哉でした

3. 石川啄木

石川啄木は戦前の日本を代表する歌人であり詩人で、『一握の砂』や『悲しき玩具』などの歌集が特に知られています。26歳という若さで亡くなりましたが、その際には前述の若山牧水が看取ったと言われています。

【『海辺のカフカ』での登場】

上記「若山牧水」の項目を参照。

4. 志賀直哉

志賀直哉は『暗夜行路』などで知られる日本文学史上重要な位置付けである小説家で、武者小路実篤らと同じく「白樺派」の中心人物の一人でもあります。志賀直哉作品の特徴は、やはりその洗練された文体と鋭い心理描写です。

【『海辺のカフカ』での登場】

「若山牧水」の項目を参照。

5. アリストパネス

アリストパネスは古代アテナイの喜劇詩人で、プラトンの『饗宴』に登場する人物の一人です。男女両性者(アンドロギュノス)について言及したとされる人物で、『海辺のカフカ』でも人間の性別や同性愛についての関連箇所で登場します。

【『海辺のカフカ』での登場】

上記「饗宴」の項目を参照。

6. 種田山頭火

種田山頭火は20世紀前半に活躍した自由律俳句の代表的な俳人です。「分け入つても分け入つても青い山」をはじめ、生涯で万を超える句を詠んだと言われています。

【『海辺のカフカ』での登場】

佐伯さんは始めて甲村記念図書館を訪れた人にツアーを行います。その説明によると、甲村家の当主は代々優れた鑑識眼をもって優れた書物を蒐集してきたといいます。一方で優れた作家にもかかわらず、しかるべき処遇を受けれなかった作家もおり、その代表例として種田山頭火の名前を挙げます

7. 谷崎潤一郎

谷崎潤一郎は『細雪』などで知られる20世紀の国内文学を代表する文豪の一人です。日本の伝統的な美意識や女性美への執着、エロティシズム、倒錯などが主なテーマとして作品に現れます。

【『海辺のカフカ』での登場】

佐伯さんの説明では、僕が検分していた甲村記念図書館の洋室にある椅子には志賀直哉も谷崎潤一郎も座ったといいます

8. ゲーテ

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、詩劇では『ファウスト』、小説では『若きウェルテルの悩み』などの代表作を持つドイツの作家です(科学者や法律家としての顔を持つなど多彩な偉人ですね)。1760年代から1780年代まで続いた「疾風怒濤」というドイツの文芸運動を先導した一人でもあります。ゲーテは、自然界や現実世界の現象を比喩的に捉え、その背後にある普遍的な真理を探ろうとしました。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕は大島さんが言う「自分をある程度その『坑夫』の主人公にかさねている」ことを否定します。しかし大島さんは「でも人間はなにかに自分を付着させて生きていくものだ」と譲りません。その際にゲーテの「世界の万物はメタファーだ」という言葉が引用されます。「世界の万物はメタファーだ」という考えは、ゲーテの代表作『ファウスト』の中の以下のような言葉からも見てとれますーAlles Vergängliche ist nur ein Gleichnis (すべての過ぎ去るものはただの象徴にすぎない)。

9. エウリピデス (ユーリピデス)

エウリピデス (ユーリピデス)はの古代ギリシアの三大悲劇詩人の一人です。『メデイア』や『バッカイ』などの名作があり、エウリピデスの作品は人間の感情と心理に深く迫ります。エウリピデスは、『ノルウェイの森』で主人公や緑が取っている講義でも扱われていました。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんは僕に対して「ユーリピデスなりアイキュロスなりの戯曲」を読むようすすめます。「そこには我々の時代の持つ本質的な問題点がとても鮮明に描かれている」と言います。

10. アイキュロス

アイキュロスは古代ギリシアの最も古い悲劇作家の一人で、「悲劇の父」と称されます。彼の作品は、神々と人間の関係、運命の力を描き、三部作『オレステイア』が特に有名です。アイキュロスは舞台装置や衣装の導入、俳優の人数を増やすなど、ギリシア悲劇の発展に大きな影響を与えました。他にも『テーバイ攻めの七将』や『縛られたプロメテウス』などの悲劇が有名です。

【『海辺のカフカ』での登場】

「エウリピデス (ユーリピデス)」の項目を参照。

11. アリストテレス

アリストテレスは古代ギリシアの哲学者で、現代でも最も有名な偉人の一人です。本書でも言及されるプラトンの弟子としても知られています。『弁論術』『ニコマコス倫理学』などの著作を遺しており、本作で登場する「アナロジーのすりかえ」についてはこの『弁論術』にて語られています。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんは女性運動を行う女性二人組に図書館についての問題点を指摘されます。そしてあらを探すような方法で問題点を指摘されたことに対して、大島さんはそれらがいかに的外れであるかを示すためにさまざまな「アナロジーのすりかえ」を行います。そしてアリストテレスは「アナロジーのすりかえ」を「雄弁術にとってもっとも有効な方法のひとつであると述べています」と主張します。

12. イェーツ (イェイツ)

本作では「イェーツの詩」として「夢の中で責任が始まる」という一部が引用されます。ウィリアム・バトラー・イェイツは、アイルランドの詩人で、20世紀の英語圏で最も重要な詩人の一人です。「夢の中で責任が始まる (In Dreams Begin the Responsibilities)」という一節は、1914年に出版された詩集『責任』(Responsibility: Poems and a Play)に収められています。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕は父親が殺されたという記事を読み、大島さんに父親とのことについて話します。その中で、僕は自分が父親を殺した可能性について考え、「夢の中で責任が始まる」というイェーツの詩を引用します

13. ジークムント・フロイト

ジークムント・フロイトは19世紀後半から20世紀前半のオーストリアの心理学者で、名前くらいは誰もが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。精神分析学の創始者として、人間の心の中には意識されていない部分が大きく影響しているという考え方を展開しました。著作としては『精神分析入門』や『夢判断』が有名でしょう。フロイトとユングの組み合わせは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でも登場しました。

【『海辺のカフカ』での登場】

僕は奇妙な霊体験をした後で、大島さんに生き霊について尋ねます。大島さんは「怪奇なる世界というのは、つまりは我々自身の心の闇のことだ」と答えます。そしてそんな深層意識に分析の光をあてたのがフロイトやユングだと仄めかします

14. カール・ユング

カール・グスタフ・ユングは、スイスの心理学者としてユング心理学(分析心理学)を創始しました。フロイトと同じく精神分析学を研究しましたが、後にフロイトとは異なる独自の心理学理論を展開しました。人間の心には「個人的無意識」と「集合的無意識」があるという考えが特徴的ですね。村上春樹は、ユング心理学を探求する河合隼雄さんとは対談集も出しているほどですが、一方でユング的な著作は読まないようにしているとも述べています。上述の通り、フロイトとユングの組み合わせは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でも登場しました。

【『海辺のカフカ』での登場】

上記「ジークムント・フロイト」の項目を参照。

15. アントン・チェーホフ

アントン・チェーホフは村上春樹が愛するロシア文学の作家で、19世紀を代表する一人です。「もし物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない」というフレーズは、アントン・チェーホフによる有名な劇作の原則で、「チェーホフの銃」として知られています。チェーホフのこの原則は、物語における伏線やプロットの論理的な整合性を強調しています。物語の中に登場した要素は、無意味に終わることなく、何らかの形でストーリーの展開に寄与するべきだという考えです。ちなみにこの「チェーホフの銃」は、『1Q84』の中でも言及されています。

【『海辺のカフカ』での登場】

カーネル・サンダースは星野青年との会話の中でチェーホフについて言及します。カーネル・サンダースが引用した「もし物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない」は、「チェーホフの銃」という原則で、星野青年が探し求めていた例の石はチェーホフのいうところの「銃」だと言っています。

16. ガルシア・ロルカ

フェデリコ・ガルシーア・ロルカは、『ジプシー歌集』などで知られる20世紀前半のスペインを代表する詩人、劇作家です。ロルカが同性愛者であったと言われていることを考えれば、同じ立場にある大島さんが彼に言及した理由も納得です。大島さんの言葉通り、ロルカはスペイン戦争で銃殺されてしまいます。

【『海辺のカフカ』での登場】

大島さんは僕との会話の中でスペイン戦争について言及し、その時代について「ロルカが死んで、ヘミングウェイが生き残った」と言います

17. アーネスト・ヘミングウェイ

アーネスト・ヘミングウェイは20世紀に最も影響力を持ったアメリカの小説家の一人で、1954年にノーベル文学賞も受賞しています。『老人と海』や『日はまた昇る』などの小説で知られています。ヘミングウェイは村上作品では頻出の作家であり、デビュー作の『風の歌を聴け』から始まって、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥クロニクル』などにも登場します。『ダンス・ダンス・ダンス』では「スペイン戦争についての本」という記述があり、もしかするとヘミングウェイのスペイン内戦を舞台にした小説『誰がために鐘は鳴る』を指していたのかもしれません。

【『海辺のカフカ』での登場】

上記「ロルカ」の項目を参照。

18. チャールズ・ディケンズ

チャールズ・ディケンズは19世紀のイギリス文学を代表する作家で、村上春樹作品にもしばしば登場します。『オリバー・ツイスト』や『二都物語』『クリスマス・キャロル』などの作品で知られています。登場人物の描写も巧みでありながら、家や屋敷などの建物についてかなりの分量で描写することも多くの作品でみて取れるディケンズの特徴です。

【『海辺のカフカ』での登場】

ナカタさんたちが滞在している高松の旅館の部屋からは、隣のうらぶれたビルの裏側が見えました。三人称の視点で、そのような建物をディケンズなら「10ページくらい描写を続けることができただろう」という描写が見られます

その他本や作家に関連する気になる描写

『グリム童話』の「かえるの王さま」

「カエルの王子がディープ・キスをする」とか「火星人のエサにされちまう」というような突飛な想像をします。この「カエルの王子がキスをする」というエピソードは、『グリム童話』の「かえるの王さま」を示唆していそうです(実際には王女がカエルにキスをするバージョンや、カエルを壁に投げつけるバージョンなどがあるそうです)。

H.G.ウェルズの『宇宙戦争』

「火星人のエサにされる」というのは、しばしば村上作品に出てくるH.G.ウェルズの『宇宙戦争』というSF小説を連想させます

福沢諭吉の『福翁自伝』

星野青年がナカタさんに対して言う「地獄でホットケーキ」というのは、福沢諭吉の『福翁自伝』に見られる「地獄に仏」という表現を連想させます

『世界の猫』

『世界の猫』という写真集が登場しますが、探してみたところ同タイトルの写真集がこれまで出版された形跡は見られませんでした。猫好きの村上春樹はこの類の写真集を本当に持っていそうなものですが、厳密には『世界の猫』は架空の書籍ということになります。

「家具の写真集」

ナカタさんが手に取った「家具の写真集」というのは、その情報だけでは特定が不可能でした。

『村上朝日堂 はいほー!』

ジョニー・ウォーカーが口笛で吹くのは、ディズニー映画『白雪姫』で七人の小人たちが歌う「ハイホー!」です。余談ですが、「ハイホー!」といえば、村上春樹のエッセイ集『村上朝日堂 はいほー!』を思い出しますね。

『海辺のカフカ』登場本: まとめ

上記のとおり、図書館が舞台となっていることもあって、『海辺のカフカ』には村上春樹作品の中でも最多クラスの本や作家の名前が登場します。

また主人公の田村カフカに加え、甲村記念図書館に勤める大島さんも大の読書家で、カフカや夏目漱石を含む近現代の作家から、『源氏物語』や古代ギリシアの悲劇まで網羅する古典への関心は驚くばかりです。

物語的には、霊怪異譚を集めた『雨月物語』や、心と身体を区別して考える『物質と記憶』など、霊というテーマに結びつくような書籍が重要な役割を果たしています。

また本作に登場する詩『海辺のカフカ』はもちろん創作ですが、タイトルがなにかの作品を表すことも特徴的でした。多くの読者は『海辺のカフカ』から読書の関心が広がり、さらに深い読書体験へ誘われることでしょう。

【村上春樹の長編に登場する本や作家のまとめリスト一覧】

第1作『風の歌を聴け』に出てくる小説や作家まとめ

第2作『1973年のピンボール』に出てくる小説や作家まとめ

第3作『羊をめぐる冒険』に出てくる小説や作家まとめ

第4作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に出てくる小説や作家まとめ

第5作『ノルウェイの森』に出てくる小説や作家まとめ

第6作『ダンス・ダンス・ダンス』に出てきる小説や作家まとめ

第7作『国境の南、太陽の西』に出てくる小説や作家まとめ

第8作『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる小説や作家まとめ

第9作『スプートニクの恋人』に出てくる小説や作家まとめ

第10作『海辺のカフカ』に出てくる小説や作家まとめ


以下、村上春樹関連の記事をまとめたので、興味がありましたら、ぜひご一読ください。

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